射幸性って何だ!射幸心を煽るということは悪い事なのか?
今回は度々聞こえてくる「射幸性」というものについてです。
パチンコやパチスロの業界からすればあまり良いイメージのない射幸性という言葉。
何も知らないゴミクソども お偉い方々に事あるごとに「高射幸性ガー」「射幸心をみだりに煽って~」なんて規制の大義名分にされているわけですが
結局射幸性とか射幸心ってなんやねん?
って思いません?
気になったので調べてみました。
射幸性・射幸心とは
国語辞典で調べた所、「射幸」と「射幸心」がヒットしました。
それぞれ
射幸
射幸心
らしいです。
wikipediaにはこんな風に書かれていました。
射幸心(しゃこうしん、射倖心とも)とは、人間の心理として「幸運を得たい」と願う感情の事で、その心理的な欲求を抱く状態を意味する。しばしば「幸運によって他人よりも幸せに恵まれたい」という心理状態をも含む。古くから人は幸福を願うことにおいて、様々な儀式や占いや競技の結果の善し悪しで未来を予想したり、その結果に備えたりしてきた。そのような意味で風習や習慣やあるいは宗教儀式などの形で祭りや神事に姿を変え継承された文化も人間の射幸心によって体現されたものと解釈できる。
いや、それって大抵何にでもあてはまるんじゃないか?
競馬や競艇などの公営競技はもちろん、宝くじなんか射幸心の塊というか・・・射幸心で成り立ってるようなもんですよね。
wikiにある通り宗教や神頼みも射幸心ですし、何をするにおいても展望を考えた時にラッキーな要素があれば・・・って思うのは当然だと思います。
どう考えても射幸心そのものが悪いとは思えません。
高い射幸性がダメ?
なら、高すぎる射幸性や煽る行為がダメなんでしょうか?
|ω・)<宝くじ
・・・はい、終了( ˘ω˘ )
射幸性の高さにおいて宝くじを超えるものはないでしょう・・・w
パチンコやパチスロの高射幸性機なんて比較にならない程の高射幸性です。
いくら売上が公共事業に使われると言ったって・・・ホール店員さんの給料になって再度世の中に出回っていくのと、クソの役にも立たない箱モノ作られるのとどっちがいいのかって話ですよね。
こういう話をすると大抵、パチンコは某国に送金してるからwwwとか言い出す奴が出てくるんですけど・・・そんな不確定要素考慮してられません。
不確定要素を考慮するなら宝くじの売り上げは政治家の懐に入ってないのか?って話になってきますし、そもそも収支をデジタルで管理されてる今の世の中で某国に送金とか・・・ネタか本気か知りませんけど、いつの時代に生きてるんでしょうか。
じゃあ煽る行為はどうだ?
これは確かにメール配信や店内POPなど、最近は減りましたけどパチンコやパチスロには射幸心を煽るものが多い気がします。
他にはないのかと言われるとなくはないですけど・・・パチ業界が特徴的に多いのは確かかもしれません。
結局のところ・・・
皆さんお分かりだと思いますが、射幸性がー、煽り過ぎがーなんていうのは建前ってことですね。
行政が目論むのは民間のギャンブルであるパチンコ・パチスロをやめさせ、公営である競馬・競艇やIR事業のカジノに人を流したいだけです。
そもそも射幸性が高いからよくない、もっとギャンブル性をなくそう!という建前に対して、規制の方向性が「勝てないようにしよう」なので意味が分かりません。
本当に射幸性を減らしたいなら少額で遊べて少額の勝ち負けが発生する遊びにするのが本来の形なんでしょうけど、どう考えても大負けアリの大勝なしにしようとしてますからね。
依存症対策という面で考えても、さんざん負けさせて諦めさせようというユーザーに一方的に損を強いるやり方は到底納得いくものではないですし、だったらいっそ公営化してしまえって話ですよね。
パチンコ公営化の話はネタ程度に話題に上げられることが多いですが、アリかナシかは別としても、権力を振りかざして公営に限り告知や設定開示OKにしたり、4号機を設置してしまえば成功はすると思います。
闇スロ撲滅にも一役買えるんじゃないですかね
・・・意外とアリなのか?
あとがき
結局一番の問題点は射幸性なんかではなく、業界が風営法による許可営業なのでお上は規制も天下りも好き勝手やれて、いざとなれば営業許可を盾にいくらでも脅せるパワーバランスだと思います。
確かにホールがやり過ぎないよう縛る鎖がなければ4号機ミリゴのようなヤバいヤツが出てきてしまいますが、何をされても従順に従うしかない業界というのはあまりに歪に感じます。
パチンコやパチスロは面白い娯楽ですし、せっかくここまで大きな利益を生む産業なのでお互いwin-winとなれるやり方を模索すればいいのにね・・・
といったところで今回はここまでです。
この記事を読んで下さった全ての方に、明日も良い事がありますように。